大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

和歌山地方裁判所新宮支部 昭和32年(タ)2号 判決 1960年3月30日

原告 玉置徐歩

右訴訟代理人弁護士 柳井恒夫

同 沢誠二

同 亀岡孝正

右訴訟復代理人弁護士 杉武

被告 玉置醒

右訴訟代理人弁護士 小野昌延

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一、玉置酉久(本籍、新宮市新宮三九六番地)が原告及び被告の実父で、原告がその三男、被告が長男であるが、右酉久が昭和二四年二月一三日に死亡したこと、右死亡の約三年前である同二一年二月一六日付をもつて、酉久及び被告共同作成名義にかかる隠居届(甲第一号証)により隠居の届出がなされていること、右隠居届になされている酉久の署名が同人の自署ではなく、被告が代署したものであることは、いずれも当事者間に争いがない。

二、よつて先ず本件隠居届出当時、酉久に隠居の意思があつたかどうか、被告に酉久の氏名を代署する権限があつたかどうかについて考えてみる。

(一)  成立に争いのない甲第一一、第一二号証、乙第二六及び第三九号証に、証人西村伊作、士屋棚枝(以上いずれも後記信用しない部分を除く)、玉置笛代、芝本実夫、広里直太郎の証言、ならびに、原告(後記信用しない部分を除く)及び被告各本人尋問の結果を綜合すると、酉久は代々能城屋と称し新宮地方屈指の素封家として知られた玉置家の戸主で、敬けんなキリスト教の信者であり、文筆に親しみ、着物を左前に着るなど常日頃奇僑な振舞をしながらも、財産(特に不動産)の管理処分については、慎重であつて、日常の事務は専ら妻タカが、タカ死亡後はその妹で事実上酉久の後妻として同居していたキヨエが、ついで被告が順次これに当り、各種契約、交渉、手続等の事務は右三名或は訴外塩崎源助等をしてその衝に当らせていたが、管理処分の決裁のような重要事は、酉久自らこれに当り、印鑑もまた同人自らこれを保管していたもので、本件隠居届当時酉久は数え年八六才に達していたが、なお健康で、俺は隠居などしないと高言する程元気であつたが、長女恵津は早くから東京在住の野村吉三郎の許に嫁し、次男起もまた大正八年に妻タカが死亡して後数年程してから新宮を後にして各地に転住し、また、原告は、大正九年頃ドイツに留学し、昭和一三年頃ドイツ人の妻を伴つて帰国後も東京に住んで弁理士を開業し、ほとんど帰郷することがなかつたような事情から、明治四三、四年頃から酉久の嫌いな証券業務にたずさわり、大正六年頃から独力で新宮市横町に店舗を構え、爾来証券業を経営していた被告に対し、当初はその性格の相違(例えば酉久は不動産等を動かさずに維持管理してゆくという、いうなれば堅実な静的性格であるに対し、被告が財産の移動によつて利殖を図るという、いうなれば投機的な動的性格であることの相違)があつた上に酉久夫婦が被告の嫌がる嫁を被告に娶らせようとしたことから、被告が酉久の許を出て前記のように証券業務にたずさわつたことや、更に、被告が、その当時いわゆる芸者遊びなどしていたようなことが重なつて、好ましい感情を抱いていなかつた酉久ではあつたが、昭和八年頃から同二〇年二月頃迄は、新宮市谷王子所在の被告住家と裏続きの住居に住み、同月頃被告が同市登坂の現住居に転居すると同時に、右住居に酉久及び前記キヨエ居住用に建てられた離家に移り住み、被告等と食事や起居を共にし、被告との間に些細な事でいざこざがあつたにしても、先ず先ず円満な生活を続け、財産上重要な事柄については専ら被告に相談していた状況であつたところ、たまたま大東亜戦争が終戦となつて米軍が進駐し、わが国民主化の一環として、財閥の解体、農地の解放、等が世上に論議され、後者については第一次農地改革として、昭和二〇年一二月二九日、農地調整法の一部を改正する法律(同年法律第六四号)が公布され、地主一戸当り五町歩(全国平均)以上の農地の強制譲渡制度が採用され、(右事実は当裁判所に顕著である)右保有面積が更に制限されるすう勢にあり(第二次農地改革として、昭和二一年一〇月二一日、自作農創設特別措置法―同年法律第四三号―が公布され、在村地主の平均保有面積が、自作地三町歩、小作地一町歩、自小作地を合わせて三町歩に制限されたことも当裁判所に顕著である)、かつ、他方、相続税が漸次高率になる情勢が看取されたため、不動産の保有について特に慎重であつた酉久が、理財の観念に秀れていた被告の勧奨もあつて、後記認定のように、爾後も事実上能城屋の財産を支配する意思を有しながらも、この際被告の奨める通り法律上の隠居をして、能城屋の所有農地の減少をできるだけ防止するにしかずという見地から、被告の勧奨通り隠居届出をすることを承諾し、隠居届の作成方を被告に委ねるとともに、管理に不便な不動産で将来手放すことが予想される土地については、相続税を支払う愚を避けるために、これをも留保財産としておくための公正証書作成方をも被告に委ねたので、同年二月一三、四日頃、酉久の面前で被告が公証人岡田三輔に電話をし、右公正証書作成について塩崎元吉を酉久の代理人として行かせる旨を伝え、同人を出頭させて右公正証書を作成させまた、同月中旬、新宮市役所戸籍課長芝本実夫に対し、酉久の隠居届及び分家届(甲第一三号証)の各作成方を依頼し、芝本において右両届書を作成して被告に交付し、これに届出人の署名捺印をするように言つたところ、後示のような戸籍法の規定を知らなかつた被告が、右市役所内において届出人の欄に自己の署名捺印をするとともに、酉久の氏名をも記載した上、これを市役所給仕をして酉久の捺印を得させて市役所窓口に提出して届出をすませ、即日酉久に対して右届出をすませた旨報告したことが認められる。而して、酉久が右隠居届出の事実をよく知つていたことは、右隠居届出の前後を通じ、新宮地方において発行されているいわゆる地方新聞を好んで愛読していた酉久が、本件隠居による家督相続により被告の所有となつた新宮市広角所在の田畑が、市営住宅の敷地として農地買収から除外されるかどうかについて論議されていることが、右隠居届出後である同年六月頃から同年一二月頃までの紀南新聞紙上に報道されており、また、同様被告の所有となつた農地を、酉久の所有農地と認めて酉久宛にした農地買収計画について、本件隠居届出後酉久名義をもつてなされた異議申立ないし訴願に関する報道が右同様になされ、これに対する裁決書等が酉久に送達されたと推認されるにかかわらず、酉久から、被告の家督相続や本件隠居について、何人に対しても文句を言つた事実が認められない(成立に争いのない乙第五、第七ないし第一四号、第一七、第一八、第二〇、第二一及び第二二号証の各一、二、第一九号証、証人西畑喜久男及び玉置笛代の証言、ならびに、被告本人尋問の結果による)等の事実からも窺えるところであつて、以上の認定に反する証人西村伊作、土屋棚枝の証言ならびに、原告本人尋問の結果は信用することができず、成立に争いなのい甲第一〇号証をもつても右認定を覆えすに足らず、他にこれを覆えすに足る的確な証拠がない。

(二)  原告は(1)酉久の家業の切り廻しや印鑑の保管等の主要事は、本件隠居届出当時被告が掌握し、従つて被告は容易に酉久の署名を偽造し得る状況にあつたこと、(2)右当時、酉久が健康で文筆に親しんでおり自ら署名し得ない状況でなかつたこと、(3)酉久は、被告に対し、その不行跡を理由として極度の不信不満を抱いていたのであり、従つて、生前に隠居までして戸主としての身分上及び財産上の一切の権利を被告に相続させるようなことは到底あり得ないこと、(4)本件隠居届出の前後において、酉久が近親者に対し、隠居など絶対にしないと言明しており、また右届出後死去するまで三年にわたる長期間、隠居について最大の利害関係を有する原告や二男起及び長女恵津と会う機会が相当あつたのに、隠居した事実について酉久及び被告から原告等になんらの話がなかつたこと等の事実に徴すれば、本件隠居届は、酉久が大正八年に能城屋の全財産の内、その三割を被告に、二割を次男起に、一割を原告に分与することとし、原告及び起に対しては既にその旨の覚を作成して与えながら、被告に対してはなんらの意思表示をしていないことを知つていた被告が、右贈与物件の登記名義が依然として酉久になつていたのを幸い、これを全部隠居による家督相続によつて自己の所有にするため、酉久が知らない間に作成提出したものであつて、それだからこそ、ことさらに右届出の事実を秘していたものであると主張するところ、(1)の事実については、これを認めるに足る的確な証拠がない。却つて酉久が不動産の処分等の重要事の決裁等については自らこれに当つていたことは前示の通りであり、また、被告本人尋問の結果によれば、酉久が自ら自己の印鑑を保管していたことが認められ、(2)の事実は被告において明かに争わないところであるが、(3)の事実については、これに副うように見える証人土屋棚枝、西村伊作及び堀美智子の証言、ならびに、原告本人尋問の結果は、前掲甲第三九号証、証人鍋割さだゑ、玉置笛代及び南リカの証言、ならびに被告本人尋問の結果に照してたやすく措信することができず、他にこれを認めるに足る的確な証拠がない。却つて、前示の通り明治四三、四年頃から大正年代にかけては、被告に対し好ましい感情を抱いていなかつた酉久ではあり、また、昭和二十年二月頃、新宮市登坂の被告現住居に転居する前後において、酉久の身の廻りの世話をしていた先妻タカの妹きよえと被告の間が、とくに円満を欠いていたことが窺われるけれども、酉久と被告の間には取り立てる程の不和がなかつたことが、甲第三九号証、証人鍋割さだゑ、玉置笛代、及び南リカの証言、ならびに、被告本人尋問の結果によつて認められる。而して、(4)の事実については、本件隠居の届出がなされる以前、酉久が近親者に対して隠居しない旨高言していたことは被告の認めるところであり、証人土屋棚枝、西村伊作、杉武、及び玉置笛代の証言、ならびに、原被告各本人尋問の結果を綜合すると、本件隠居届出後である同二三年四月に行われた、被告の子玉置笛代の結婚式に、原告はじめ親族が集つた際、被告から、この年になつているのに未だに酉久が何事につけてもやかましく言つて委せてくれないというぐちを聞いた原告が、酉久に対し、孫が養子をもらう時代だから隠居をしてはどうかと奨めたところ、酉久が、俺の隠居は天国へ行く時だと答えて隠居しない旨言明したことが認められるけれども、右酉久が口にした隠居が、法律上のそれを意味するものでなく、世間に俗にいう隠居、即ち、戸主の地位を去ると否とにかかわらず、能城屋の財産の管理処分等について実権を握つてゆくという意味をもつものであることは、前掲乙第二六号証、ならびに、被告本人尋問の結果によつて認められるところである(甲第二二号証によつても右認定を覆えすに足らない。)のみならず、右結婚式当時は、既に民法応急措置法(昭和二二年法律第七四号、同年五月二二日施行)の施行によつて法律上の隠居制度が廃止された後であることは当裁判所に顕著であり、従つて酉久が法律上の隠居をしないという意味の言明をするようなことは考え得られないところである。而して、被告及び酉久が、原告その他の親族の者に対し、酉久死亡前に本件隠居届出の事実を告げていないことは、被告において明らかに争わないところであり、また、大正八年に、酉久が能城屋の財産の内、その二割を次男起に、一割を原告にそれぞれ贈与する旨の覚を作成交付しながら、被告に対してはなんらの意思表示もしておらないことを、同一五年頃から知つていた被告が、これを不満としていたことは成立に争いのない甲第二号証第一九号証の一ないし三第一二号証、ならびに、被告本人尋問の結果によつて認められるところであるが、被告が本件隠居届による家督相続によつて右原告等に対する贈与物件の所有権を一人占めにしようと企てたことを認めるに足る的確な証拠がない。

却つて、証人杉武の証言及びこれによつて真正に成立したと認められる甲第一四ないし第一七号証、成立に争いのない甲第一九号証の一ないし三によつて認められる本件隠居留保財産中にも前記贈与物件が含まれている事実に、玉置笛代の証言、ならびに、被告本人尋問の結果を考え合わせると、被告が前記贈与の事実を知りながら、これについて特に考慮を払うことなく留保財産を決定したことに、軽卒のそしりを免がれ難い点はなくもないけれども、酉久と相談して決めたことではあり、被告として特に贈与財産をも含めて能城屋の財産を独占しようという企図がなかつたことが認められ、他に右認定を覆えすに足る的確な証拠がない。

従つて、右認定の各事実をもつては、(一)に認定した事実を覆えすことができないところである。

三、原告は、仮に、本件隠居による家督相続により、被告の所有となつた農地の買収計画についての前示異議に対する通知書等が酉久に送達されたことにより、同人が本件隠居届のなされたことを知つたとしても、右通知書等が酉久に送達されたのは昭和二二年一一月頃であるから、これにより一年以上も前になされた本件隠居届の重大なかしが補填されるものではなく、この理は前示新聞記事の点についても同様であると主張するけども、被告は、右各事実をもつて、本件隠居届出当時酉久に隠居の意思があつたことの徴表であると主張しているものであり、当裁判所もその意味において前示の通り認定しているものであるから、原告の右主張を採用することができない。

四、原告は、仮に、本件隠居届が酉久の意思に基ずいてなされたとしても、旧戸籍法は、隠居という重大な行為が真に戸主自身の意思に出づるものであることを担保するため、これをもつて厳格なる要式行為となし、同法第六八条一項において、隠居届には、特に本人の署名がなされることを要求し、同条第二項において、もし本人が署名することができず他人が代署するときは、届出書面にその事由を記載すべきことを要求し、本人の署名でなくても本人の意思によるものであることの特段の事情とその証明をなすべきことを規定しているところであつて右規定に違背してなされた本件隠居届による隠居は無効であると主張するので考えてみるに隠居は婚姻養子縁組等とともに届出によつて効力を生ずる創設的身分行為であつて、この旨を規定した旧民法第七五七条には、婚姻、養子縁組について規定した同法第七七五条第二項(第八五七条)のような規定が設けられていないけれども、書面によつてする右届出には、隠居者本人の署名(自署)捺印を要することは旧戸籍法(大正三年法律第二六号)第四七条第一項の規定によつて明かなところであり、而して、同法第六八条第一項において、届出人が………署名することができないときは、氏名を代署せしめ捺印することをもつて足る旨を、同条第二項において、右の場合書面にその事由を記載することを要する旨をそれぞれ規定しているのであつて、右は、いずれも重要な身分行為が当事者の真意に出たことを確保することを目的としたもので、当然隠居についても適用され、戸籍吏は右規定に違反してなされた隠居届出を受理すべきものではないけれども、誤つてこれが受理された場合、云いかえると隠居者の氏名が代署されたにかかわらずその事由の記載がなされていないのに受理されたような場合にも、隠居者に真実隠居の意思があつたことが認められる場合には、隠居は有効に成立したと解すべきであるところ、本件においては、前示認定の通り、真実隠居する意思を有した酉久から、隠居届の作成届出を委ねられた被告が、隠居届に隠居者本人として酉久の氏名を代署しその名下に酉久の捺印を受けた上、これを戸籍吏に提出して受理されたものであつて、その有効でであることは右説示によつて明かであるから、被告の右主張もまたこれを採用することができない。

そうすると、酉久の本件隠居届による隠居は有効に成立したといわねばならないから、これが無効であることの確認を求める原告本訴請求を失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 下出義明)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例